2011/11/06

18 法律事務所ブランディングの基礎


18 法律事務所のブランディング1-ブランディングの基礎

弁護士アクセス編「もっと身近な弁護士であるために」をいったん中断して,法律事務所のブランディングについて考えてみることにします。
11月11日の日弁連弁護士業務改革シンポジウム第1分科会にパネリストとして参加予定であることはアナウンスしましたが,事務所のブランディングもテーマなので,実はそのための準備です。)

原総合法律事務所では,2007年ころ,事務所のビジョンを考えるようになり,既に事務所の「ブランド化」を話題にしていたことをお話ししました。このブログの冒頭でしたが(02),「法律事務所にブランド???」と思いませんでしたか。
しかし,従来から,地域の有力な法律事務所は,その意識はなかったと思いますが,既に「ブランド」でした。
そう言われればそうかもしれないけれど,やっぱり法律事務所とブランドは馴染まないと思われた方,今回のブログは,そういう方が対象です。

ブランディングにも様々な意味付けがなされているようですが,差別化された価値の創造というのが共通項でしょうか。要するに,「ここは違うよなぁ。」と思わせることです。
「原総合法律事務所は違うよなぁ。」と思わせることで,原総合法律事務所の理念である「いつでも,どこでも,だれにでも 上質な法的サービスを。」広く市民に提供できるようになるわけです。更にいえば,「弁護士は違うよなぁ。」と思わせることができれば,全体としての弁護士へのアクセスが改善されるはずです。
弁護士,法律事務所(更には弁護士会,日弁連)のブランディングが必要な理由がここにあります。

そのために私が重要だと思っているのは,ストーリーヒストリーです(このフレーズ,さっき思いついたので,多分,本来の概念とは違います。念のため。)。

まず,ブランドにはストーリー=軸が必要です。事務所のビジョン・理念です。
そして,そのビジョン・理念の実践の歴史ヒストリーが必要です。

このブログでは,原総合法律事務所のビジョン・理念については,繰り返しふれてきたところですが,「実践の歴史」については,詳しくお話ししたことがありません。
そこで,原総合法律事務所がどのようなブランディングを行ってきたか,まず,「実践の歴史」を振り返ってみたいと思います。

原総合法律事務所は,1992年の設立以来,当初は,消費者関係の事件が業務の中心でした。地縁,血縁がないところでの開業でしたから,顧問や依頼者からの紹介の事件は少なく,法律相談センターからの受任や先輩弁護士からの紹介が主でした。
そのような事件の中には,結構,事実関係が面倒で,法律構成が難しく,でも少額の消費者関係の事件が数多くありました。例えば,クレジットの名義貸しだったり,先物取引だったり,過払いだったり(最高裁の判断が積み重ねられる前の過払い事件は,次々に出される未登載の下級審判決をフォロー,整理し,新しい法律構成も求められる「重たい」事件でした。),商工ローンだったり(日栄の引直し計算は独特でしたし,手形の取立てを止めるのも大変でした。商工ファンドの根保証も熾烈な主張,立証を繰り返していました。),そして破産・個人再生などです。
その「実践の歴史」の中で,原総合法律事務所は,消費者問題について,差別化,専門化し,消費生活相談員との信頼も築いていきました。

次いで,2000年ころから,高齢者関係の委員会に所属し,高齢者に関わる専門職や福祉関係者,行政とのネットワークにも積極的に参加し,高齢者関係の事件も扱うようになってきました。
その間,2008年度には日弁連高齢者・障害者の権利に関する委員会副委員長も経験する「実践の歴史」の中で,福祉に関わる機関や個人との信頼も築いてきました。

また,弁護士になった当初から,医療過誤にも患者側で積極的に取り組んできました。
この10年くらいは,事務所独自で医学文献を揃え,データベースにもアクセスできる環境を作り,また,医師との関係も作っていく「実践の歴史」の中で,医療過誤についても信頼を築いてきました。
その結果,最近は,常時10~15件の医療過誤を扱っています。

その医学的な蓄積を前提に,交通事故にも被害者側で取り組んできましたが,特に,傷病との因果関係や治療の必要性など,原総合法律事務所の知識と経験が有効です。
そこで,2011年8月,交通事故専門の相談窓口をスタートし,県や市の交通事故相談員との勉強会なども行い,ここでも差別化と信頼を得つつあります。その結果,最近は,交通事故だけで月に10~20件の新件相談を受けています。

そして,私のこれまでの弁護士業務のかなりの部分を占めたのが,原爆症認定訴訟です。私が弁護士になった1988年,長崎原爆松谷訴訟が提訴されますが,この事件で,2000年,最高裁がはじめて原爆症認定訴訟で被爆者勝訴の判断を示し,その後の集団訴訟の被爆者勝訴の流れを決定づけたのです。私は,20年余にわたり,この原爆症認定訴訟に関わり,最後は長崎弁護団の事務局長として,訴訟の実務面を取りまとめました。
この事件の中心にいたことは,被爆地長崎では特別な意味を持ち,信頼,そして事務所のブランディングにおいても意味がありました。

このような事務所の軸=理念(ストーリー)に貫かれた実践の歴史(ヒストリー)が,原総合法律事務所の現在のブランド力を支えているのです。

しかし,このブランド力も,広く市民,中小企業に伝わらなければ,原総合法律事務所の理念である「いつでも,どこでも,だれにでも 上質な法的サービスを。」広く市民,中小企業に提供できることとはなりません。
そこには,アピールの工夫が必要となります。
(続く)

* 平行して,マネージャーのブログでも,現在,ブランディングがテーマになっています。ご参照ください。こちら→オフ編ながらのブランディングのススメ同ver2同ver3